小説『ぱちび物語』(むらかみ はっこう著)

 

 

 

第一章

 

 

 

おいらが犬であることに気がついたのは、いつのことだったんだろう。気がついたら、周りに誰もいなくて、冷たい北の海の海辺でうろうろとしていた。

 

腹が減っていたので、海辺に打ち上げられた小魚や、にんげん様が食べ残した残飯を探す毎日だった。腹が減っていくのはあたり前だけど、食い物を探すことは大変だった。

 

     

 

おいらが誰かに捨てられたのだとは分かっていたけど、親が誰なのかも、飼い主が誰なのかも知らないし、いつも淋しい日が続いた。もともとおいらにも親というものがいて、おいらがいるということさえも知らなかったんだ。いつもひとりぽっちがあたり前と思っていたけど、浜辺で知り合った仲間の犬たちが教えてくれたんだ。それを聞くと何だか親というものに会いたくなって、あちこち探してみたけど、分かるはずがなかった。

 

 

 

ともだちの犬とはいつも楽しく遊んだり、食い物を探したりと、とても気が合ったんだけど、いつの日だったか、にんげん様が目の前を通りかかって、ともだちを連れて行った。おいらの顔は片方の目の周りが黒ぶちなのでかっこ悪く、きっと、にんげん様が選ばなかったんだと思う。浜辺で打ち返す波をかきわけて走り回るとき、水面に写る自分の顔くらいは知っていた。ともだちはきっとにんげん様にかわいがられて幸せな生活を送っているんだろうと思うと、少し悔しかったけど、しょうがないので、ひとりぽっちで生きていくことにしたんだ。おいらの顔のことは誰のせいでもなく、おいらのせいだからね。

 

 

 

おいらの毎日は空腹との戦いだったけど、時には楽しいときもあった。たとえば野原でチョウチョウと遊んだり、トンボと遊んだりした。浜辺でもカニや貝たちとも遊んだ。そんな時はひとりぽっちじゃない気がして、楽しいのだけど、夜になるとやっぱりひとりぽっちになって、海の音を聞きながら寝る毎日だった。寄せては返す海の音が子守唄のように聞こえて、それはそれで心地いいことだった。朝早く目をさまして、オレンジ色の日の出を見たり、海に沈んでいく夕日を眺めていると、何だかきれいなものを見たような気がしてうれしかった。お日様とお月様だけはいつもおいらを見守ってくれているような気がして、とくに雨や雪が降ったりしたときには、ただひとりぽっちで寝床に丸まっていた。

 

 

 

おいらが親を探すのをやめてからは、ひとりで生きていこうと決心したから、誰の力も借りないで、必死になって食い物を探した。時には町に出て行って、うろうろしながら、立派なお屋敷に飼われている犬が昼寝をしている間にゴハンを盗み食いしたり、にんげん様が捨てたゴミをあさって残飯を食った。意外ににんげん様の残飯にはうまいご馳走があって、にんげん様ってぜいたくなんだなあと思った。とくに肉なんかがたくさん残っていたときはうれしかった。骨付きの鳥肉もうまかった。でもそんなことも長くは続かなかった。おいらのことが町のあちこちでウワサになって、にんげん様に見つかると、追いかけられたり、棒でたたかれたり、石を投げつけられたりするようになったんだ。そのせいでおいらの体のあちこちが今でもアザだらけだ。そんなことが続いておいらは町から少し遠い海辺をすみかにしたんだ。

 

 

 

海辺にはちょうど古びた番屋があって、その中のむしろの上で寝るようになった。最低でも雨風はしのげた。人里からは少し離れていたので、安全だったけど、食い物を探すのが大変だった。朝夕の砂浜でのエサ探しは欠かせないし、にんげん様が食い物の残りを捨てていった大きなドラム缶あさりも欠かせない。それが日課だったけど、冬になると、砂浜も海も雪が降り積もって、エサも拾えないし、にんげん様もほとんど来なくなった。ドラム缶あさりはムダだった。だからしょうがなく、また、町中に出かけていって、にんげん様の残飯をあさったり、にんげん様に飼われている犬のエサを盗むしかなかった。なんか悪いことをしているような気がするけど、腹が減るとそんなことも考えられなくなった。生きていくにはしょうがなかったんだ。にんげん様に飼われている犬とはちがうんだから。

 

 

 

でもにんげん様に飼われている犬たちって本当に幸せなんだろうかと思うこともあった。だって、いつもクサリにつながれて、きゅうくつそうだ。その点、おいらはクサリなんかには縁がないから、思うがままに歩いたり、走ったりできる。あの犬たちはにんげん様のペースで散歩をしているだけで思いっきり走ったりはできないんだろうな。あれじゃ、ちっとも楽しくはないと思うんだけど、意外に小さいときから飼われている犬たちはそれがあたり前だと思っているのかもしれない。それはそれで幸せなのかもしれない。でも、おいらはいやだった。そんなもの偽もののような気がしたからさ。腹が減ってもクサリなんかにつながれていない方がいいに決まってる。そんなことさえも分からないでいる犬たちはかわいそうなのかもしれない。

 

 

 

第㈡章

 

 

 

ある日のことだった。おいらに信じられないことが起こった。夏の海辺に遊びに来ていたにんげん様の家族が、どうもこのへんてこりんな顔をしたおいらのことを気に入ったらしいんだ。

 

 

 

おいらがいつものねぐらにいると、まずさきに男の子が近寄ってきて、おいらに何やら話しかけたんだ。最初はまたいじめられるかと思って、小屋の隅に身を縮めて、「ウーッ。」とうなって、白い歯を見せた。でもその男の子は手を差し伸べてニコニコ笑っているんだ。おいらはにんげん様が嫌いだし、信用なんかしていなかったので、子どもでも怖かったんだ。

 

 

 

その家族が海で遊んでいるあいだに、男の子が何度もおいらの小屋に食い物を持ってきてくれた。おいらはあまりにうまそうだったので、その男の子が海にもどると食い物にくらいついた。とってもうまかった。にんげん様が自分たちのために作った食い物をそのまま持ってきてくれたんだと思った。少し、にんげん様を信じてみようかと思った。おいらが食い物をたいらげ、「ウーッ。」とうならなくなったら、その男の子はおいらの頭をやさしくなでてくれた。初めてのことだったので、おいらはその男の子の目をじっと見て、黙っていた。頭やあごをなでられると、なんかうれしい気持ちになった。どうしてだか分からないけど、こんなやさしいにんげん様もいるのかと信じられない気分だった。

 

 

 

やがて男の子が家族をつれておいらのところにやってきた。また、おいらは恐ろしくなって「ワン、ワン!」とほえて、隅に逃げた。男の子は家族に何やら話していた。そうすると家族たちみんなが手を出してくれるようになった。あの男の子が近寄り、おいらを抱き上げてくれた。最初は不安でぶるぶる震え、バタバタあばれたけど、何もしなかったので、少しは安心した。この後、どうなるんだろうと思った。逃げようと思ったけど、逃げられなかった。

 

 

 

そうしておいらは初めてにんげん様に飼われることになった。そこは町外れの一軒家だった。毎日、新しいことだらけだった。まず、首輪を付けられ、ロープでつながれた。おいらの寝るところは木で作った箱で、丸い穴が開いていた。その中にふかふかした敷物をしいてくれた。寝るには十分すぎて、にんげん様に飼われるのも悪くはないなと思った。それから、朝と夕には必ずエサをくれた。よく町中で盗んだ味だった。うまかった。毎日、食い物の心配をしなくてもいいということはまるで天国のようだった。春の陽だまりの中の昼寝もたまらなかったし、夏の暑い日は木陰のうたたねもたまらなかった。にんげん様に飼われる犬たちの気持ちが少し分かったような気がした。それから、どうもにんげん様がおいらを呼ぶときに同じ声が聞こえた。何度も聞いているうちにおいらにも名前があるということに気がついた。「ぱちび」というらしい。犬に名前があるなんて知らなかったから、なじむまでには時間がかかった。

 

 

 

おいらには親がいないけど、なぜか毎日の生活に暖かいものを感じ始めていた。けど、やっぱりきゅうくつな思いはどうしてもとれなかった。時には気ままに散歩でもして、チョウチョウやトンボと遊んだり、浜辺で思いっきり走ってみたかった。でも、それはにんげん様に飼われる生活では叶わないことだった。それとひきかえに食い物があたるんだから、しょうがないと思った。

 

 

 

その家族に飼われるようになってから、ときどきブルルと音を立てて動く大きな箱みたいなものにも一緒に乗せてもらえるようになった。その箱にはくるくる回る丸いものが四つついていて、家からどこか知らない遠くのところまで連れて行ってくれた。にんげん様は便利なものをもっているんだなと感心した。そのときはロープをとってくれるので、箱の中でおいらは「ワンワン!」とはしゃいだ。にんげん様も喜んで、なでたり、甘いごちそうをくれたりした。時にはあのなつかしい海にも連れて行ってくれた。おいらは首輪だけで思い切り浜辺を走り回ることができた。にんげん様に飼われるのも悪くはないなと、少しはにんげん様を信用してみようかと思い始めていた。優しいにんげん様は目を見れば分かるようになっていたんだ。日ごろ、いろんなにんげん様がおいらの家にやってきて、おいらに話しかけたり、なでてくれたり、エサをくれたりしていたからだ。犬嫌いのにんげん様は、どんな優しい声をかけてくれても、目を見ればすぐ分かるようになっていたんだ。おいらは犬だから、ハナがきくのさ。

 

 

 

ある日のこと、おいらは家族といっしょにあの大きな箱に乗せられ、とても長い時間をかけて遠いところに連れていかれた。そこは広い畑や庭がある家で、年をとったにんげん様がふたり住んでいた。そこに家族といっしょに泊まることになったけど、そのお年寄りのにんげん様もおいらをとてもかわいがってくれた。きっときっとみんな優しいにんげん様に違いないと思った。

 

 

 

おいらのとても快適な日々が続いたんだけど、ひとつだけ困ったことがあった。夜になってお月様や星を見上げると吠えてしまうんだ。これは説明しようもないんだけど、周りのにんげん様にはとても迷惑なことらしいんだ。夜になっておいらの住んでる箱の周りの家々の灯が消えて、真っ暗になると、なぜか淋しくなって吠えてしまうんだ。おいらは耳はとてもいいから、ずうっと遠くで友だちが吠えているのが聞こえてきて、思わずおいらも吠えてしまうんだ。あまり吠えると周りの家々の窓ががらっと開いて、どなり声が聞こえてくるんだ。そのときはやめようと思うんだけど、これだけはおいらたちの習性だからどうしようもないんだ。そんな日々が続いていて、とうとうおいらの隣の家とおいらの遠吠えのことでけんかになったらしい。おいらはとってもつらかった。にんげん様に飼われるのも楽じゃないなあとつくづく思った。

 

 

 

それでもおいらの毎日はとても楽チンで、食い物も相変わらずあたるし、申し分なかった。とくにおいらのことをかわいがってくれたのは、おいらのことを最初に気に入ってくれた男の子だった。エサもきちんとくれたし、おいらをよく散歩に連れて行ってくれた。とくにうれしかったのは、おいらがもともと住んでいた砂浜に連れて行ってくれたときだ。ロープをはずされたおいらは思う存分、浜辺を走り回った。波打ち際で波とたわむれたり、少ししょっぱい海の水をなめたり、打ち上げられた海草をかじってみたり、貝殻を転がしてみたりと、まるで昔の生活のように、本来のおいらに戻ったような気になった。その男の子もいっしょに遊んでくれた。投げた棒切れを拾いにいっては、くわえて戻る。そんな単純な遊びを何回くりかえしてもうれしかった。おいらにとってはいちばん幸せなひとときだった。やっぱり、ロープにつながれていない自由な生活っていいなと思った。でも、それも少しばかりの時間であっという間に終わり、また、にんげん様の家に戻らなければならなかった。そういうときは、とても説明できない悲しい気分になった。犬は一匹で生活しても、にんげん様に飼われても、どちらにしても満足できないんだと分かった。なぜ犬になんか生まれてきたのかと考えたこともあるけど、考えてもしようもないことだった。犬はしょせん犬として生きるしかないんだと分かっているんだけど、なんだか悲しくなるばかりで、そんなことを考えるのはやめることにしたのさ。

 

 

 

そんなこんなで、とりあえず喰いものに心配しなくてもよい日々がつづいたんだけど、このにんげん様の家に飼われるようになって2年目くらいのときだった。家のにんげん様がおいらのことでいろいろ相談しているのが分かった。おいらのことをちらちらと横目に見ながら話しているので、何となくおいらのことでもめているのが分かった。おいらには何のことかさっぱり分からなかった。

 

 

 

第三章

 

 

 

その年の春のことだったと思う。家にとっても大きな動く箱が来たんだ。そして、にんげん様たちが家の中から小さな箱やら大きな箱やらをその動く大きな箱に運び始めたんだ。おいらはだまってそれを見ていた。一日がかりで運び終わったようで、その大きな箱は「プオーン」という音を鳴らして動き出して、遠くへ走っていった。残されたのは空っぽの家とおいらを飼っていたにんげん様たちだけだった。

 

 

 

そのにんげん様たちは男の子をいれて4人いた。四人は何やら話し合って、また動く箱の中に乗り込み、おいらもいっしょに入れてくれた。どこかへ行こうとしているようだった。あの年をとったおじいちゃんとおばあちゃんのところなのかなと思ってうれしかった。

 

 

 

その動く箱の乗せられておいらは上機嫌。外を眺めてははしゃいでいた。でもよくみるとにんげん様はいつもと違って無口で、みんなが暗い表情をしていた。何か不安な気持ちになった。

 

 

 

途中でお店やさんに止まって、みんなで降りた。にんげん様はいろいろと買い物をしていた。おいらにはとびっきり上等な犬用の肉を買ってくれた。おいらはうれしくて夢中になって喰いはじめた。いままで喰った中でいちばんうまかった。たくさんくれたので、喜んで喰って、喰い終わったとき、にんげん様ののった箱がなくなっていたことに気づいた。道路に出てみると、少し遠くのほうにその動く箱が見えた。どんどん遠ざかるのが分かったので、おいらは追いかけたんだ。追いかけても追いかけてもその動く箱が止まらないんだ。おかしいと思った。おいらのことを忘れたんだろうか。そう思いながらおいらは必死に追いかけた。ときどき道が曲がりくねったところになると、走る箱が見えなくなっておいらもけんめいに走った。ずいぶんたってから、もう走る箱が見えなくなったけど、おいらは走り続けた。きっとおいらのことを忘れたんだろうと思っていたから。どんどん走り続けると、遠くににんげん様が乗っている箱が見えた。ああ、やっぱりおいらのことを忘れたんだと思ってうれしかった。おいらが追いつくと、その動く箱は道路の端に止まっていた。おいらは箱の横に寄ってたって、がりがりとガラスをひっかいた。しばらくして、戸があいて、おいらはまた箱に乗ることができた。おいらはほっとした。もう少しで置いていかれるところだった。

 

 

 

おいらが「はーはー」と息をつきながら、周りのにんげん様の様子を見てみた。何だが変だった。あの男の子は泣いていた。ほかのにんげん様も下を向いたまま、うつむいていた。いったいどうしたんだろうと思ったけど、にんげん様が少し話をしたあとに、この動く箱は反対方向に回って戻り始めた。みんななぜが無口で静かだった。どこへいくのだろうと思ってまわりの風景を見ていると、どうやらあの年をとったおじいちゃんやおばあちゃんのいるところに向かっているのが分かった。おいらはうれしくなった。

 

 

 

第四章

 

 

 

けど風景を見ているとどんどん知らないところに向かっているのが分かった。いったいどこへ行くんだろう。箱の中のにんげん様はやっぱりみんな無言だった。妙な感じがした。どんどん景色が変わり、おいらの知らない町に着いた。大きなスーパーマーケットに止まって、おいらもいっしょに降りた。大きな大人がおいらを連れて店に入った。そして店の入り口でロープにつながれた。その大人は店に入っていくときに、にっこり笑って何やらおいらに話しかけた。きっと待っていればいいんだなと分かった。

 

 

 

ずい分たったんだけど大きな大人が戻ってこないんだ。おかしいなぁと思って振り返るとあの箱がいなくなっていたんだ。あれっ、どうしたんだろう。おいらをまた置き忘れたんだろうか。おいらは走ろうとしたんだけど、ロープがきつくつながれていて店の前から離れられない。おいらはほえながら何度も道路のほうや横のほうに向かって走ってみた。むだだと思ったけど、何度もあきらめずに走り出した。店に出入りするにんげん様たちが回りに集まり始めた。おいらがほえているのでこわがってキャーッと言っているのが分かった。それでもおいらはやめなかった。なんども突進しているうちに、ロープがはずれた。

 

 

 

 

 

おいらは夢中になって道路にかけ出て、あちこち探してみたけど、あの箱が見当たらないんだ。どうしておいらを置いていったんだろう。おいらはやっと分かった。おいらはきっと捨てられたんだ。どうしておいらを捨てたんだろう。きっとあの男の子ならおいらを連れて行ってくれる。そう信じておいらはさっき来た道を全速力で戻った。まってくれ。まってくれ。おいらもつれていってくれ。おいらはなりふりかまわず走りに走った。

 

 

 

もっと大きな道路にでた瞬間に突然大きな箱が目の前にあらわれた。あっ。大きな箱が見えて「ブオーン」と音をたてたと同時においらは真っ暗な闇の中に入った。いったいおいらに何が起こったんだろう。あーあー、痛い。痛い。痺れる。気が遠く、、、。(終)

 

 

 

この小説はフィクションです。ただし捨てられていた犬は存在しました。